2006年8月 1日 (火)

ご無沙汰しております

なんと、おそろしいことに1ヶ月以上もブログを放置していました。

さらにおそろしいのは、私がほんの3週間くらいしか間が開いてないと感じていることです。

時折足を運んでいただいてる方々には、何も目新しい物を提供できず、本当に申し訳ないです。こんな状況でブログやってますっていうのはおかしな話ですし、この際、ブログをやめてみようかなとも思っています。けれど、1ヶ月に1回でもいいから続ける方がいいような気がしないでもないです。要は、続けるかやめるか、気持ちが固まっていないのですね。だから放置という態度になって行動に表れたのでしょう。

とりあえずは、少しずつでも続けてみたいと思います。それでもどうしても書きたくない!となった時に、ここをやめたいと思います。

さて、近況ですが、スケジュール的には夏休みに突入しました。しかし、相も変わらず土日以外は学校に行っています。自主勉強会やらゼミの夏期講座やらで、結局夏休みらしきものは1日も無く…。まぁ、院生はそんなもんでしょう。馬車馬のごとく、この貴重な時間を大事に使っていきたいと思っています。今は忙しいとはいえ、やはり恵まれている時間だと思います。こんな時間、多分もうこの先の人生では無いような気がします。

近況ついでですが…

心理系の院に所属していると、嫌でも自分の見ないでいた面を見なくてはならないことになります。自分では、自分を見つめている方だと思っていましたが、まだまだ全然でした。自分の中に、すごくいやな部分があって、それは暗くて気持ち悪くて、見るのが怖いので今もってなんだかはっきりしないのですが、この4ヶ月を院で過ごしてきて、確実に何かがあることはわかりました。そして私の指導教官はそれを見抜いているようで、どんなに取り繕ってもその痛いところを突いてくるのです…。

正直、自分は今ヤバいのではないかと思います。

もしかすると、発症するかもしれません。自分の判断に確信が持てなくて、ぐるぐるしてしまいます。「いまこういう気持ちになっているのは●●だから…いや、でもそういう事を考える私の判断基準がゆがんでいたら、その答えも違って来るじゃないか、だとしたら、何が正しい答えか?いや、答えを一つに絞ろうとする姿勢自体が間違っているのか。これでいいと開き直るのがいいのか、いやでもそしたら自分を甘やかすだけなんじゃないか、もっとストイックに…でもそれじゃ不自然で…」という具合で、思考がよりどころを失っている感じです。

私の中の暗くて変な部分を見つめて、受け入れなければ、多分この思考の混乱はまとまらないと思います。それが今後の私の課題かなと思います。

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2006年6月24日 (土)

H.M.の症例

「脳の中で、記憶に関連する部位はどこでしょう?」と問えば、結構な人が「海馬」と答えるのではないだろうか?健康オタク番組や、科学系のドキュメンタリーなどでもよく耳にするこの「海馬」。しかし、この部分が記憶に関係しているらしいというこの常識は、案外最近になってわかったものなのである。しかもその発見には、一人の不運な青年の人生が大きく関わっていた。

話は1953年にさかのぼる。青年H.M.は、27歳。彼は重度の先天的てんかん(脳の神経ネットワークが異常発火してしまって、意図しないけいれん-不随意運動-がおこってしまうこと等)に悩まされており、ついに脳の外科手術を行うことになった。その手術では、発作から推測される脳内の病巣部分(側頭葉内側部)を切除するということが行われ、手術は無事成功。彼はやっとてんかん発作から解放されたのだった。

しかし、退院して数日経つと彼の様子がおかしいことに家族が気づく。

言っていることのつじつまが合わず、なんだか変なのである。そこで病院に再度連れて行くと、驚いたことにH.M.は手術日以降の新しい記憶を全く獲得していないことが判明したのである。つまり、手術の日よりあとに起こったことは何一つ覚えていないのだった。これは専門用語で言うと、逆向性健忘(昔のことを忘れてしまうこと)は起こっていないが、順向性健忘(新しいことを覚えられない)が起きているということになる。

一体H.M.に何が起こったのか――彼の脳から切除された側頭葉内側部の一部…それは海馬の大半と扁桃体の一部を含んでいたのだった。その時初めて、どうやら「海馬」は「記憶に関連している」らしいということがわかったのである。つまり、これは明らかな医療ミスであると言っていいだろう。H.M.は27歳のその日、永遠に同じ日を繰り返す人になってしまったのである。

当然のことながら、彼は急遽入院することとなった。そして、さまざまな調査を行って、彼に起こった記憶障害の詳細が明らかになった。まず、手術日より後のことは本当に何も覚えていないということ。だから、毎日会ってる医者や看護婦に「初めまして、私はH.M.と言います」と自己紹介をする。何も覚えていないから、何で自分がここ(病院)にいるのかわからなくて、「すいません、ここ、どこでしょうか?」と聞く(見当識障害)。しかし、手術前の記憶はしっかり残っているということ。(映画俳優のブロマイドをいくつか並べて、知ってる人を挙げさせると、キレイに1953年までに活躍した人のみを挙げたという。あんなに有名なマリリン・モンローすらも「知らない」と答えたそうだ。)

そして、数字の復唱(1・2・3,と言ったら1・2・3,と答えること)では、普通の人なら通常15~20コまでなら復唱できるのだが、H.M.の場合は8コまでしか復唱できなかった。また、ブロックタッピング(9つのブロックがあり、光った順番にそれを押していくもの)では、最大5つまでしか順番を覚えられなかった。これらの検査は、毎日毎日行われたが、そのたびH.M.は「うわぁ、なんだか面白そうですねー、はじめてやるなぁこんなの!」と言って毎日快く検査をしてくれたそうだ…(検査者は言いようのない悲しさを感じたことだろう)。そして、この記憶課題に関しては、何日やっても成績が上がることはなく、彼の記憶の脆弱さを証明することとなった。とはいえ、これだけの成績を残したと言うことは、彼は短期記憶(電話番号など、パッと一時的に覚えてあとですぐ忘れるような記憶)に関しては、あまり損傷を受けていないということがわかった。

また、きちんと記憶ができる部分があることもわかった。鏡映描写という検査(星のマークが書かれた紙を手元に置いて、それを鏡に映す。被験者は手元を直接見ないで、鏡に映っている紙をみてその星マークをなぞるという検査)を行ったところ、本人は全くその検査をしたことを覚えていないにもかかわらず、日に日になぞるスピードと正確さが上昇したという。これはつまり、頭は覚えていなくても、体が覚えている記憶が確かにあるということである。

また、絵画完成法という検査(最初は輪郭の一部のみをみせて、だんだんと線が足されていき、最終的に一つの絵になる一連のカードを見せ、どれくらいの段階でそれが何の絵かを当てる検査)では、初日ではかなり最後の段階にならないと何の絵かわからなかったのに、毎日やって行くにつれて、どんどんその段階が早まり、最終的には一部の線だけを見て、それが何の絵か当てられるようになったという。もちろん、本人は毎日「初めてやります~!おもしろそう!」と言っていて、その検査をした記憶は全くない。なのに、何日目かにはたった1本の線だけをぱっと見て「なんだか象に見える気がします…」と言って、課題をクリアしたのである。つまり、意識に登らない部分で記憶を保持している部分があるのでは?という示唆が示されたのである。

以上のH.M.の結果からは、記憶にはある種のグループ分けがされていて、そのグループによって使用される脳の部位も違うのではないだろうか?ということが導かれる。

H.M.が取り除かれてしまった部分は、長期記憶(時間が経っても思い出せる記憶)を保持する部分であり、また宣言的記憶(事実や知識に関する認知的な記憶)を司っている部分であったのであろうと推測される。そして、手続き記憶(自転車の乗り方など体が覚えている記憶)に関しては、きちんと保持機能が維持されていたことから、海馬の残りの部分か、あるいはまた別の脳の部位が、手続き記憶に関しては統制しているのではないか、という事が導かれた。

彼、H.M.のおかげで、彼の出身地であるカナダでは脳の記憶研究が非常に盛んで優秀な結果をいくつものこしているのだという。実際、彼の症例があったおかげで、かなり脳研究が進んだことは確かである。しかも、彼は大変穏やかで優しい好青年だったようで、日々の検査にも嫌な顔一つせず応じてくれたのだそうだ。しかし、彼は「私が不安なのは、誰かを傷つけてはいないだろうかということです。忘れてしまっているけれど、もしかすると毎日誰かを傷つけているかもしれない…それが私を不安にさせ、とても悲しい気持ちにさせるのです。思い出したくても、本当に何も思い出せないのです。まるで、夢からさめた途端、何を見ていたかすっかり忘れてしまったようなあの感覚なのです…。」といった内容の言葉を述べたという。

もちろん、彼は立派な医療ミス被害者なので、国を挙げて手厚く看護されたそうだが、それでもやはりやりきれない症例である。人類の科学の進歩には、犠牲がつきもの。それをわかっていても、実際こういう症例を目にするといたたまれない気持ちになる。きっと、もっと色んな方面の研究でも、いろんな人や動物が犠牲になっているのだろう。私たちは何かを糧にして、その糧を踏みにじってモノにして、そして生きている。それを忘れてはいけないと思った。

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2006年6月13日 (火)

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「オーメン」(ジョン・ムーア監督・2006)を見る

Omen あらすじ-----------------------------------------------------主人公のロバートはイタリア在駐の外交官。念願の第一子が誕生するも、その子は不運にも死産。しかし妻はまだその事実を知らない。妻を悲しませたくない一心で、病院勤務の神父の言うがままに、ロバートは身寄りのない新生児を自分の子として育てる決心をする。そしてその子には、ダミアンという名がつけられ、とてもかわいらしい男の子として育っていくのだった。しかし、悲劇はひそかに彼ら夫婦に忍び寄っていた…!!!

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今回公開されている映画「オーメン」は、1976年に公開され、大ヒットとなったもののリメイクである。実は、私はその本家を見ていなかったのだが、ネットなどの評判を見ると、かなり忠実に再現されているようで、おおむね評価は好評だった。

そもそも、この「オーメン」という言葉は、「不吉な予兆」という意味であるらしい。

本作では、聖書に書かれている破滅(アルマゲドン)の予兆の数々と、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争、アメリカの大洪水、コロンビア号の爆発・墜落、などを重ねていて、それらは聖書に書かれているとおり、世界が破滅する前兆であるという所から話が始まる。実際に起きた事件や天災が、実際に聖書通りのシナリオに沿っているのがなかなか不思議なところ。信じやすい人は、本気にしてしまうのではないだろうか。

何というか、妙に映像がスタイリッシュで、その分恐怖感は少なかったように思う。けれど「ビックリさせますよシーン」が何個か用意されていて、そのたびに大音量を急に流す、という手法が使われていた。「来るぞ来るぞ…」とわかっていても、突然大きな音を流されると対して怖くない絵面でも、ついビックリしてしまう。何かずるい。(最後の「ビックリさせますよシーン」で、私は不覚にも「ぅわぁっ!!」と声を上げてしまい、大変に恥ずかしい思いをした。映画館で声を上げたのは何年ぶりだろうか。。くそぅ)

話の筋としては、特に驚くような展開もなく、「ふーん」というかんじだった。この映画を見たことがなく、あらすじを知らない人でも、多分、何となく思い描いているイメージそのままの内容であるといっても差し支えないと思う。しかし、ホラーは驚いて、その後急にこみ上げてくるおかしさを楽しんでナンボだと私は思っているので、その点では面白かったし満足した。殺人のシーンもなかなかよく作り込まれていたし、ちゃちな感じはしなかった。

しかし、よくよく考えると、主人公夫婦が不憫でならない。時々主人公が涙ぐむ場面があるのだが、あまりに可哀想でこちらももらい泣きしそうだった。理不尽な不幸は、見ている方もやるせなくなる。

キャストには、主人公ロバート役にリーヴ・シュレイバー、妻役にジュリア・スタイルズ。そしてダミアンにシーマス・デイビィ=フィッツパトリックが配役されている。ダミアン役のこの子は、かなり目力のある子どもで、さすがダミアンに選ばれただけはあるという感じだった。不気味な雰囲気を醸し出すのが非常にうまい子どもである。本人に演技している意識があって、あれだけの雰囲気を出しているのなら相当の演技力だと思う。

ロバート役のリーヴ・シュレイバーもなかなかの好演。悩み、苦しみ、怒り…さまざまな不幸に翻弄される父親をよく演じていた。しかしながら、問題は妻役のジュリア・スタイルズ。下の画像やオフィシャルHPの画像を見て貰ってもわかると思うのだが、いかんせん不細工。何というか、どっしりおデブで下ぶくれのおばちゃんという風貌なのだ。彼女は話の中では本当に可哀想な状況に追い込まれるのだが、この見た目のせいかあまり感情移入できなかった。演技力が無かった訳ではないのだが…もう少し線の細い、美人で神経質そうな女優が良かったのではないだろうか?

もともとできあがっているもののリメイクなので、全体的に完成度は高く、満足できた作品だった。1976年版もぜひ押さえなくてはと思わせた。どうやら、映画史に名を残す名「殺人」シーンが1976年版ではあるらしい。どういうシーンかはネタバレになるので書かないが、かなり衝撃的な映像であるようだ。どこら辺が違っているのかを見ながら楽しむのも一興かと思われる。

W157658view リーヴ・シュレイバー

なかなか筋肉質!----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------*-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

N0007657 ジュリア・スタイルズ

この画像だとまだましだけど…。-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

●蛇足●今回院の友人と4人で観に行ったのだが、作中に登場する精神科医(カウンセラー)の受け答えや風貌が大変興味深く(笑)、普通の方々は笑わないであろうところで私たちはクスクスしていた。しかもだだっ広いのにかなり薄暗い診察室で、おまけに設置されている椅子がイームズの超高そうなやつだった、というところもみんなツッコミを入れていた。見る人によっては注目するところが全然違って、面白いなぁということを実感した日でもあった。心理系の学生と、映画を見にいくとなかなか新鮮かもしれない。

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2006年6月 3日 (土)

しばらく休みます

最近全くブログを書けていません。

ネタはあるのですが、ブログ書いてる暇があったらレポートやれってな感じなのです。こんなに忙しいのは人生で初かもしれません。レポートはもちろん、ブログもどちらも完成度を落としたくないので、大した記事じゃなければアップするのもどうかと思い、気がつけば2週間放置という有様。

けれど、レポート地獄も来週いっぱいで少し落ち着くので、それまで少しブログを休みます。

モバイルがあれば、通学中でも文章を書くことができるのに…。1日が24時間じゃ足りません。世の忙しい人たちはどうやってブログを書いているのでしょうか。。

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2006年5月21日 (日)

一人よがり

先週末の金曜、想い人に会ってきました。まぁ、会ったといっても彼のバイト先に行っただけなんですが…。

彼は飲食店でバイトしており、制服がたまらんかったです。萌えです。何を話しても楽しいし、何を見てもかっこいいと思ってしまいます。相当重傷です。もし、自分が男で、彼が女性だったら、私犯罪を犯していたかもしれません。

それくらい荒れ狂う感情がありながら、私という人間はひどく体裁を気にするので、そんなそぶりは見せませんでした。どうにかしたいという気持ちもある反面、何かを変えるのは面倒だと思い、動くのがおっくうになってしまっています。多分、告白することは無いんじゃないかと思うようになってきました。結局、ひとりだけでキャッキャ言って満足してるのです。

こんなのを、恋愛というのでしょうか?もしかすると、恋に恋してるだけなのかもしれません。そもそも、私は自分が忙しかったり余裕がなかったりする状況では、恋愛ができない人間です。そんなものに割いてる時間も精神的余裕も無いと思ってしまうのです。相手よりも、自分の方がかわいくて仕方ないのです。

よく、恋愛は片思いしてる時が一番楽しいといいますが、全くその通りだと思います。相手の一挙手一投足に一喜一憂し、ポジティブな妄想でドキドキしたりして…。でもそれって、結局は自己愛を満たしているだけのように思えます。自分がかわいいから、自分の気持ちいい形で恋愛をしたい。痛いことや辛いこと、楽しくないことは感じたくない。だから、現実を見ないで済むように片思いのままにとどまらせておきたい。そんな風に思っているから、私はこの状況を先に進めようとしないのかもしれません。ひどく自分勝手だなと思います。

世の中の多くの人々は、どうやって恋人をつくり、どうやって関係を進めていくのでしょうか?

なんだか、そんな基本的なことすらもわからなくなってしまって、いつも行動に移せないでいます。人に好きだ、とか付き合ってください、とか言うのは本当に難しくて、その後の事も考えると大変な労力を要する仕事だなとしみじみ思います。簡単にそういう事が言えた頃が懐かしいです。

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2006年5月14日 (日)

All you need is LOVE??

人はなぜ、年中発情しているのだろうか?

動物には年に1~2回発情期があって、その時以外は生殖行為を行うことはない。でも、人間は違う。いつでも異性のことを考え、準備さえ整えば年がら年中繁殖可能だ。しかも、人間の場合、そもそも繁殖を主目的として行わない性行為が(ま、ようはヤりたいだけってやつですな)ほぼ大半をしめる。そして、多くの性行為は気持ちがいい、快感を伴う。それは一体何の為なのか。

これらの問いに対して、明確な答えはまだ導き出されていないのだという。科学的な根拠や、心理学的な説明が十分になされていない、なすことの出来ない人類の不思議の一つである。…しかし、私はその話を聞いてびっくりした。そういった、人間の性と生殖に関するメカニズムは、とっくに解明されているものだと思っていたからだ。生殖などというかなり基本的なことが、未だに説明できていないなんて驚きだった。つまり、この領域に関しては、まだ正しい答えが出ていないということなのである。

というわけで、非常に唐突ながら、且つ全く専門的知識は無いが、私なりの考えを述べてみたいと思う。

まず、なぜ人の生殖行為には快楽が伴うのか、という問いに対して。

以前、ジェンダー学の授業で「人はそもそも子育てを忌み嫌っている」という説を聞いたことがある。アフリカのある部族では「子ども=めんどうなもの」という見方が一般的で、妊娠すると母親達は非常にがっかりするらしい。しかしながら、子どもを産まないわけにもいかないので、仕方なく子どもを育てるのだという。確かに、はっきり言って子育ては面倒だ。子どもはかわいいかもしれないが、かわいいだけではない。ネガティブなことも割合多くある、そんな仕事だ。

そう考えると、もしかすると人は基本的に子どもを産み、育てるのは面倒だな…という気持ちがあるのかもしれない。それでなくても、近代社会では絶対に子どもを産まなくては!!という意識はだんだんと薄らいでいるように感じる。それも進化の一部ととらえるならば、それは本質的なものだと言えるかもしれない。そして、そんな状態で、生殖行為が気持ちの良いものではなかったら、きっと人は繁殖行為を一切しなくなるのではないだろうか?面倒を引き起こす上に、気持ちも良くないときたら、一体その行為に何の意味があるのだろうか。単に絶滅を防ぐための繁殖機能でしかない。

そうなってしまわないように、人の性行為には快楽が伴うように出来ているのではないだろうか。性行為と愛情とが大きく関係しているのも、そこに原因があるように思う。好きな人ができ、その人の子が欲しいと思う感情が生起するのは、とどのつまり絶滅を防ぐための働きなのではないだろうか。

そういえば、人は一人の人間に対して愛情を抱き続けていられるのは4年が限度という話を聞いたことがある。これは、絶滅から種を守るため(何かあったときに対応できるよう、種のバラエティを増やす)、より多くの異性と子を持てるように脳が仕組まれているからだという。しかし、人間は社会的動物であるので、子どもがいるとか、家族を持つとか、そういった社会的要因が複雑にからまって、4年以上関係を続けることができるのだそうだ。この、「何かあったときのために種のバラエティを増やしておく」ということは、なぜ人は年中発情しているのか?という問いの答えになりそうである。

発情期が限定されているということは、多くの子ども達がほぼ同じ時期に生まれるということである。誕生日にあまりばらつきがなく、皆同じように年を取っていく。そのように皆が同じような環境(生まれた季節など)で育つと、環境の違いによって得られる進化や突然変異が起きにくい。これは種のバラエティを増やすという観点から見ると、あまり理にかなっているとは思えない。そういうわけで、色んな状況に対応できるような子孫をできるだけ増やす為に、人は年中発情しているのではないだろうか?さまざまな環境下で子どもを育て、その独自性を発達させることによって、少しでも長く種が続くように、人は出来ているのかもしれない。

以上、私なりに性と生殖に関して考察してみた。

しかし、「なぜ人は生殖行為を目的しない性行為を行うのか?」という問いに対しては、自分なりにですらも答えを導き出すことが出来ない。簡単にいってしまえば、気持ちいいから、だからなのだが。別に気持ちいいことは他にもある。快感と称されるものは、セックスだけでなく色んなものから得られるはずだ。だから、別にセックスをしなくても大して問題ないはずなのだ。なのに、なぜ、多くの人は恋人や配偶者、果ては全く見ず知らずの人とも、快楽目的の性的関係を持ちたいという欲求を抱くのだろうか?まるでわからない。

けれど、実際恋人ができると触れ合いたいと思ってしまう。一生セックスできません、と言われたらかなり絶望するだろう。それはどうしてなのか。もしかすると、人の得られる快感で、一番上位にあるのが性行為なのだろうか?だから我慢するのがつらい、とか??などと次々疑問が出てきてしまう。やはり、この性と生殖に関する問題は、解明されることのない問題なのかもしれない。

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2006年5月 1日 (月)

アオハルユース

よしながふみ 「フラワーオブライフ」(1)~(3)以下続刊を読む。

Fol1 ☆あらすじ☆-------------------------------------------------

主人公である高校1年生の花園春太郎は、通常よりも1年と1ヶ月遅れで高校に入学する。それは、彼が白血病を患っていたためであった。しかし、そんなヘビーな過去をモノともしない明るさと熱血気質で彼は早くもクラスにとけ込む。

しかし、オカマ風味な担任を始め、筋金入りのオタク、貞子風味なマンガ少女など、その高校には一癖もふた癖もある面々が…!!そんな奇特な奴らに囲まれて、春太郎は貴重な青春を過ごしていく。

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一番最近の3年B組金八先生がそうであったように、学園モノとカテゴライズされる作品の多くは超ド級のファンタジーである。そして、この作品もそういったくくりの中に入れられるものであるといっていいだろう。

ようは「ありえなーい!!!!!」な青春物語なのである。

まず、教師がおかしい。あんなにくだけて話の出来る、そして理解のある高校教師はそういまい。いたとしても、同じ学校にそう何人も存在しない。そして、オタクに対して優しすぎる。概して高校におけるオタクの扱いは無視かハブ、いいとこパシリだろう。しかも、クラス全員が団結力がありすぎる(個別グループ化していない)。季節のイベント毎に、みんなで誰かの家に行ってパーティーなんて、リアル高校生は絶対にしない。絶対にしない(にかいめ)。そして何より性衝動に関して反応がみなユルイ。エロに対する対応が大人すぎる。おまえらはどんだけ老けてんですか、と。

けれど、そういう虚構の中に、そこはかとないリアルを織り交ぜて話を進めていくのがこの作品を面白くさせている要因だろう。たとえば、女の子の買い物シーンとか、モノローグの数々などは結構現実感があり、キャラの個性が生き生きとして見える。高校生活という同じ事の繰り返しな平坦な日々を、いかにうまく描写するかは、こういったキャラ立ちの度合いによるだろう。

また、学園モノには欠かせない文化祭での出し物や、定期テストでの勉強会など、押さえるところはきちんと押さえている。かなり笑えるギャグも要所要所で出てくるし、作品自体は大変に面白い(電車の中で読むと笑いをこらえるのが大変)。上記の爆裂ファンタジー要素を気にしないで読めるという人には、きっと凄く楽しめる作品であると思う。また、ちょっとしたサプライズ展開をしたりもして、結構目が離せない。

作者であるよしながふみは、ボーイズラブ作家でもあるのであちこちにそういう類の話は出てくるが、話自体はボーイズラブではないので、男性でも安心して読めるかと思う。また、彼女はおいしいもの好きでも有名な作家であるため、作中に登場する食べ物がみな大変においしそうである(2巻に至ってはお菓子のレシピまで収録されていた)。おなかが空いているときに読むと、余計におなかが空く。

全体的に、雰囲気といい台詞まわしといいおよそ高校生のものとは思えないが、それでも続きが読みたい!と思わせる作品だった。それぞれのキャラの今後や、まだ出てこないキャラもいるようでこれからの展開が楽しみである。

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2006年4月22日 (土)

眠れる森の美女・・・?

以前社会人とつきあっていた頃に、「一番好きなことは何?」と聞いたことがある。そしたら「寝ること」という答えが返ってきて軽く失望した事があった。しかし、今になって非常にその気持ちがよくわかる。毎朝早く起きて、夕飯前くらいまで授業を受け、帰る頃には結構な夜。そんな生活を送ると、嫌でも「一番好きなことは睡眠です」と言いたくなる。いわゆる、社会人の生活というのはこういうものなのかもしれない。

しかし、どこに行ってもタフな人間というのはいるもので、毎日4時間くらい寝られれば1日元気!!という強者も存在する。私なんぞはできるだけ長く寝ていたい人間なので、8時間でも9時間でも、とにかくたっぷり睡眠を取らないと1日中ぼーっとなってしまう。そんなわけで、睡眠というのは人によってどうとらえているかがまちまちで、個人差の多く出る領域だと言えるだろう。(ナポレオンが3時間しか寝なかったというのは有名)

ところで、人の生活リズムは24時間で1周するように出来ているかというと、決してそうではない。1960年代、Weverらによって地下壕を用いた人の生活リズムの実験が行われた。その実験では、太陽の光の差さない地下壕の中で、人が時計など時間を確認できるものを持たずに欲望のままに生活すると、1日がどういうリズムになっていくのかという事を実験した(飲み食いや遊んだり、読書したりは自由。照明もつけたいときにつけてよい)。その結果、およそ25時間で人は生活リズムが一周することがわかった。つまり、人間は無理をして1日を24時間にあわせているということだ。人の生活リズムのことをサーカディアン・リズム(概日リズム)と呼ぶが、これは上記の25時間を何とか24時間に合わせている、つまり「ほぼ1日で生活してる」というところからきている。

1964年、アメリカの高校生ランディ・ガードナーは睡眠学者や専門家の立ち会いのもと、264時間(約11日間)とい不眠記録を樹立した。そもそも、なぜそんな辛い実験をしたのかというと、そこには戦争が背景に隠れている。数ある拷問の中でも、「眠らせない」という拷問は最上級に辛い拷問の一つであると言われており、大戦当時、アメリカでは自国の兵士が捕虜として捕まったときに「睡眠剥奪」の拷問に遭って、何かしら機密をもらすのではないかということを大変におそれていた。そこで、いかに眠らないでがんばれるのか?という事について研究が盛んに行われていたのだという。

話は戻って。ランディ氏は途中途中くじけそうになりながらも(夜はピンポンをするなど、必ず誰かしらがそばについていた)何とか11日間の不眠を達成する。寝ていない最中、集中力の低下や血圧の変動などは見られたものの、基本的に彼の身体健康に異常は見られなかったそうだ。そして、彼は11日目にやっと寝ることになったのだが。さて、久方ぶりの睡眠、一体どれくらい彼は寝まくったと思われるだろうか?

なんと、たったの約15時間だったそうだ。これは11日間分を取り戻す睡眠量としてはあまりに短い。なぜこんなくらいの睡眠で、彼は普通の生活にもどれたのだろうか?これを説明するには、Home(1998)の睡眠の区分についての説明を見てみると、わかりやすい。Homeは睡眠を必須睡眠と任意睡眠という二つの分類に分けて説明をしている。

まず、必須睡眠であるが、これは人間が生活していく上で必ず取らないとダメな睡眠量のことであり、1日におよそ80分必要だとされている。必須睡眠を取っている時に現れる特定の脳波が在るのだが、それを確認したところ、たとえば、昼寝で30分くらい睡眠を取ると、夜の睡眠ではこの必須睡眠は50分しか見られないのだそうだ。つまり、1日の中で睡眠をいつ、どんな形で取ったとしても、必須睡眠が全体として80分に達せばそれ以上必須睡眠が取られることはない、ということである。

そして、任意睡眠は必須睡眠以外の残りの寝てる時間である。要は、無くてもかまわない睡眠である。だから、睡眠時間が長くなればなるほど増えていくといえる。こちらの睡眠は、生きていく上では特に必要の無いものであり、気持ちの問題で変ってくるいわば余分な睡眠であると言っていいかもしれない。

この二つの区分を考えたとき、先ほどのランディ氏の睡眠時間15時間を見てみると、

15時間=900分、80分(1日の必須睡眠)×11(日間)=880分

900≒880、つまり、11日分の必須睡眠を取り戻したということ、が推測される。これは非常に納得のいく説明であると思われる。なぜ彼が、たった15時間程度で元に戻れたのかは、以上の理由によるものかと思われ、そうなると人は1日80分の必須睡眠を何日か分まとめて取ることも可能だということになる。つまり、人は寝だめはできないまでも、少なくとも後でまとめ寝はできるということである。

そう考えると、私たちはちょっと寝過ぎなのかもしれない。1日80分で良いところを何時間も寝まくっている。しかも、それだけでは足りないなどと言う輩(主にあたくし)もいるわけだ。生きていく上で、自分の可能性を限界まで使い果たして死にたい、という方は1日80分睡眠にしてみてはいかがだろうか?

ただし、私は個人的に絶対にそんなことはしない方がいいと思う。←ココ重要

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2006年4月13日 (木)

ミシミシッ…バキ!!

映画「エミリー・ローズ」(2006,アメリカ)を観る。

「この映画はホラーではない。事実である。」というキャッチコピーにあるとおり、この映画は事実に基づいて作られたものである。以下あらすじ

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19歳の大学生エミリーは、明るくて快活。信仰心も厚く、まじめで勤勉なごくごく普通の女子だった。しかし、ある日の夜午前3時におそろしい体験をする。それから彼女の世界は一変してしまった。薬物を投与しても、なかなかその症状は収まらない。はたしてこれは精神障害なのか?それとも悪魔憑きなのか?エミリーの家族は、彼女を救うため司祭に救いを求める。しかし、悪魔払いの健闘もむなしく、彼女は精根尽き果てて限りない自傷と狂気の最中命を落としてしまう。そして、司祭の行動の是非を問う裁判が始まった…。

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私は、以前にもホラーが結構好きだという事を記事に書いたが、この映画は楽しむとかいう余裕もなく純粋に怖かった。もちろん、悪魔が取り憑いて変なものが見えるという描写、いわゆるホラーらしい映像、もあったのだが、そんなものは全然怖くなかった。何が怖かったかというと、主演女優の鬼気迫る演技だ。テレビCMなどでご覧になった方もおられるかと思うが、教会の椅子のところで背中を後ろ側に反らし(要はイナバウアースタイル)、バキバキっと骨がきしむ音を立てながら低い声で「Don't touch me!!!」などとうめく所は怖くて怖くて泣きそうになった。(実はこのCM、あまりに恐ろしすぎるのと荒川選手のイナバウアーを連想させるということで苦情が相次ぎ、放送自粛を余儀なくされている) 他にも、人間としてあり得ない形になってみたりする映像もあるのだが、この主演女優は相当体の柔らかい人なのだそうだ(だからオーディションに受かったという説もある)。それにしても、お化けの映像なんかよりも、実際の人間があり得ない形をしているという事の方がよっぽど怖いという事を今更ながら思い知った。

以下ややネタバレ---------------------------------------------------------

実はこの映画は、ほとんど(3分の2程度)が裁判の描写に費やされている。そういった意味では、裁判映画と言っても良いだろう。その裁判では、検察側は医学的側面から、投薬を中止させた被告である司祭を攻撃するのだが、その説明で彼女の状態を「てんかん」と「統合失調症」の挿間的発症などとしている。私は一応そういった方面の勉強をしている身であるため、このケースの症状はかなり興味深いものがあった。しかし、しょせん映画は映画。実際の彼女を見たわけではないので何とも言えないが、親族に精神障害を患った者がいることや、神と悪魔に対する彼女の知識の深さを考えると、やはり検察側の主張(あくまで推測)が正しいのではないかと思う。自傷と暴力行為の状況のひどさから考えると、やはり強制入院させるべきだったのではないだろうか。患者本人の意志も尊重した上で、多少落ち着いてから、形式的に悪魔払いという儀式を行うことで(それが実際効果を示したかどうかは問題ではない)彼女を救えたのではないだろうか?という疑念は残るところである。

しかし、最後の落としどころは、不謹慎な言い方ではあるがなかなかオツだなと思った。ああいう判決の場合もあるのだという、かなり特殊な前例になったことだろう。また、エミリー自身の書いた最後の手紙の内容には、信仰心の無い者でも心打たれるものがあると思う。単なるホラーではなく、ある女性の壮絶な最期とそれに付き添った司祭を記した記録映画として見ると、また違った視点で観られるかと思う。恐ろしく怖い映画だったが、なかなか考えさせられるものがあった。

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2006年4月 6日 (木)

ビブロス倒産

もはや、隠しても仕方のないことなので言ってしまいますが…。私、実は腐女子なんです。。。

え?知ってた?あ、そうですか…。でもそうですよね、ボーイズラブゲームのレビューとか書いちゃってますものね。

ところで、そんな腐れた脳を持つ私(及び仲間たち)にとって、大変信じがたい悲劇的なニュースが昨日報じられました。それは「ビブロス倒産」の一報…。この出版社ビブロスは主にボーイズラブ系のマンガ・小説・雑誌を発行している出版社で、その方面ではかなりの大手でした。本屋のボーイズラブコーナーに行けば、どんなに小さな所でも絶対にビブロスのコミックは置いてあるし、特徴的な装幀は腐女子の乙女心を痛く刺激したものです。もともとこの会社は、1988年に青磁ビブロスとして創業し、1997年に今の会社名になりました。青磁の時代からボーイズラブ商品を取り扱っていて、そのころからのファンも多く、今回の倒産に関して大きなショックを受けている人も少なくないかと思います…。

そもそも、なぜ倒産してしまったかというと、上記のリンク先にもあるように3月末に自己破産申請済みだった自費出版関連会社「碧天舎」破綻のあおりを受けての出来事だったようです。ビブロスは碧天舎の赤字経営に足を引っ張られる形で倒産してしまったそうで、同じく碧天舎に出資していたハイランドもビブロスと同じく自己破産申請をした模様です。

現在ビブロスで取り扱っていた雑誌やコミックは、マガジンBE×BOY、小説b-Boy、BE×BOY GOLD、マガジンZERO、小説BEaSTなどおよそ23誌(コミック含む)ですが、全ての発行物が発行中止となったそうです。特に雑誌に連載中だった作家さんやビブロスでしか作品をだしていなかった作家さんの行方が大変気になるところです。売れっ子作家の人たちは、多分他社に移籍してビブロスで発行した作品を発行し直す、という形をとれるとは思うのですが、駆け出しの作家さんや新人さんたちは当面の仕事が無くなってしまったという状況だと思います。読み物である以上、おもしろい・おもしろくないといった評価で作者の淘汰がなされるのは仕方のないことですが、こういった突然の倒産などでこの世に出るはずだった作品が日の目を見ずに消えていってしまうのは、とても悲しいことだと思います。どんな作品にも、やはりファンはいると思うので…。

連載途中の作品ももろとも発行中止になってしまったので、その続きがいつか読めるのかどうか、あるいはもう二度とその作品を読めなくなってしまうのかというファンの不安も高まるばかりで、某掲示板では「編集部の身請け先は発表されてはいないがもう決まっている」「数ヶ月すれば違う雑誌でまたスタートできる」などの不明確な情報も流れていたりします。各書店でも、ビブロス系のコミックや雑誌を回収し始めているらしく、本日の時点でもう本棚がスカスカになっているところも少なくないようです。またオンライン書店でも注文できなくなっているところもあるようで、本格的に「ビブロス」の発行物が姿を消していっています。もし、気になる本があるのならば早めに買いに行かなければもう手に入らないかもしれません。もし、今日本屋で血眼になってボーイズラブコーナーをあさっている女性がいたら、間違いなく腐女子です。そっと観察してみましょう。

何を隠そう、私もお気に入りの作家さんが何人かビブロスで連載を持っていて、今年中には新刊が出るかな?という状況だったのですがそれも泡と消えました…。続き、気になっていたのに…。今後どういった形でそれらの作品が発表されるのか、あるいはもう二度と発表されることはないのか。とても気になります。幸いなことに、他誌でも連載を持っている人たちばかりなので、いずれはどこかで…という望みもありますが、一体どうなる事やら全くわかりません。

たかが本(マンガ)、されど本(マンガ)。(おまけに腐れている。)けれど、ボーイズラブという領域の草分け的存在であった大手ビブロスが無くなってしまった。これは、ただの出版社が倒産したというだけでなく、何かこう、腐女子の歴史自体が失われたような気になります。青磁ビブロスの頃から含めれば、約18年間この業界で幅をきかせていたわけで、それが無くなってしまうというのは本当に残念で寂しいです。今やボーイズラブ系雑誌やコミックはかなりたくさん発行されていますし、正直代わりはいくらでもあるといって良いと思います。ですが…やはり寂寥感は否めません。今は、一刻も早くお抱えの作家さん達が新しい場で連載を再開出来ることを祈るばかりです。ビブロスさん、長い間お疲れ様でした。良い作品を、ありがとう。。

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